あくまでも個人の考えでありますこと予めご了承ください。
ゲームに限らず、色んな種類の依存症があります。
その依存対象に出会わなかったら、
その対象物自体には依存しなかったと思います。
でも、依存症とは、その対象物自体が原因ではないと思っています。
近い、まわりの人は、その対象物が全て悪いかのように
「やめなさい」と 叱るケースもあります。
例えば、不登校の子がいたとします。
他人事として見れば、可愛そう、ゆっくり休んで、周りの人は守ってあげて、
と思うかもしれません。
しかしいざ親族が不登校になったら
何か辛いことがあって不登校になっているところを
「学校に行きなさい!」と、怒りをぶつけて更に追い打ちをかける、ということも
珍しいことではないと思っています。
学校を休まなければ、不登校にはなりません。
だけど、何らかの原因で心がヘトヘトに疲れているのに
学校に行き続けたら、それを「何も問題がない」と言えるのでしょうか。
ネット依存、ネトゲ依存も
それに近い意味だと 私は思います。
たまたま依存する興味対象が、それだっただけで
それに依存した原因自体は、それではないと思っています。
もし 「それ」 に 出会わなければ
それ自体には依存しないと思います。
しかし、違うものに依存するか
疲れ果ててしまうだけのように思います。
例えば、ネトゲに依存します。
その、依存している間は、何かやることがあります。
それは ある意味 自分を繋ぎとめているものだと思います。
コメント